帰国日

Deadline

 

 目がさめると、ソファの上だった。9Bさん、あーすさん達が目の前でマネーマッチをしていた。夜は余裕で明けていた。Salem 乱闘や、通常乱闘で、最後の合法マネーマッチを堪能していた。

 この日も空は淡い鈍色だったが、寒いという程ではない。我々は、昼になっても見えない日の下、13時出発を目処に準備を始めた。

 今回、日本の皆さんは優勝は出来なかった。よって、負けた試合は自ずとある。それを、動画で上から目線で批判することも出来るが、そうすることで自分のランクが上がるわけでもないし、楽しむという面で成果は得られない。それに、APEXも予選ブロックの配置が違っただけで、結果は大きく変わっているだろう。プレイヤー相性は大いにある。日本が勝っている要素は充分にあった。

 しかし、「大会」は負けていた。大会というのは、この大きな会場・巨大スクリーン・熱気・国際性のこと。これだけの規模で、これだけの客が流動し、スポンサーがついて商品販売も行われ、遠い日本にこれほどの影響を与えるような大会は、日本には無い。この面白さとスリル、止まっていられない興奮は、APEX をおいて他に無し。そしてこの「大会の面白さ」は、現地ならではの体験であった。


 また、プレイヤーの皆さんは負けた悔しさ・やり残したことがあったかもしれない。ただ、あの時私は対戦には執着はなく、コミュニケーションにも支障はなかったし、総合して考えれば、自分が最もこの APEX2013 を楽しめた日本勢だったと言い張れる。


 やはり、途中でも述べたが、APEX は誰でも行く価値がある。

 あの盛り上がり・プレッシャーを肌で感じ、 この大会のゲームを真に理解するために。海外の生活に順応して、100%のパフォーマンスを出すことがいかに難しいか実感するため。向こうのプレイヤーを見るために。それは彼等のゲームだけでなく、人間性や熱狂も含む。

 USA以外の人間と会うことも出来る。カナダ・メキシコ・プエルトリコやチリ。ヨーロッパでもフランス・ドイツ・オランダ・フィンランドなど。他にもオーストラリアなどまでいたが、もう把握していない。あと、USAは地域によっても人間性やアクセントが違うことも忘れずに。こいつらが一堂に会するイベントというのも、珍しいのでは?

 私がAPEX に赴き、如何に満足できたことか。ゲーマーという外国人と関われたことは、中々類を見ない経験として、その誇りを燦々と私の中で輝かせていくことだろう。


 もう既に、日本勢によって、次の海外の大会への遠征の話題はあがっているらしい。そしてスマブラも世代が変わり、将来は次の人気ゲームが出て来も、海外遠征は有り続けるだろう。その時、この日記を読んでいる人は少ないだろうが、どうか届いて欲しいメッセージがある。


どうか、自慢できるような旅を。


 そして、13時がやって来た。ゆっくり準備は出来たわけではなかったので、急ぎ足で IE6 の家を出た。IE6本人は、寝ていた。徹夜でDXをやらされていたらしく、この人とだけはしっかりしたお別れを謂えなかった。

 

↑ 最後の朝

↑ 乱闘をする日本勢

↑ バス停へ歩く日本X勢1

↑ バス停へ歩く日本X勢2

 見送りに来てくれたのは、Krista と Alex Chen 。バス停までの道のり。空港までは、スケジュール的に送れる人が居なかったので、ここまでであった。日本勢が多すぎて、他の近所のスマブラーを呼んでも、車で空港まで運べないレベルだった。

 我々は、このバスに乗って、まずは New Brunswick の鉄道駅に向かう。私が初日に来たこのルートだ。思えば長い旅であった。初日は死にかけて、次の日は休む間もなく喋り、大会3日間は疾走し、いかに多くのことをこの New Brunswick で経験したことか。時間が勿体ない、と5日間もずっと思えた。夢の終わりを、まだ自覚したくなかった。


 そして、無情にもバスはやってくる。大勢の日本人は、スーツケースを曳いてバスに乗り、Alex, Krista に最後の別れと、御礼を述べ、我々は去った。最後までなんとも熱心に助けてくれる連中だった。ありがとう。また会おう。

(Alex Strife が日本勢の宿泊のため、この家に350ドルが支給していたことは内緒。)

↑ Jamaica Station, NY 1

↑ Jamaica Station, NY 2

 ここからは必死の旅。NJ Transit に乗り込み、Penn Station NY へ。順当に行っても1時間の旅程だというのに、ミスって Penn Station Newark で降りてしまいました。ごめんなさい。ホントに。ここで30分のロス。30分に1本しか来ないとかどんなローカル線なんだ一体!(東京育ち)

 そして、LIRR (Long Island Rail Road) に乗って Jamaica Station へ。これは普通に通勤列車なので大量のスーツケースが邪魔であった。お客さんには申し訳ない。ここでも30分ほど揺られる。そして、上の写真の Jamaica Station へ。ココまで来ればもはや勝ち。

 あとはエスカレータを昇り、楽な乗り換えをして Air Train へ。この乗り換え口のおっさん達も、お互いの会話はスペイン語だった。どれだけスペイン語はメジャーなのか…。

↑ Air Train Jamaica Station

ホーム

眠そうな Rain さんと Otori さん

 徹夜のプレイヤーが多い中、皆がフラフラで Air Train を待つ。5日前に来ていたのに、どこか懐かしい。そして、あの時は早朝の暗いホームであったが、今は夕方。13時に家を出たのに、もう16時過ぎになっていた。

 各所駅員・車掌にはチップを払って親切な案内をして貰った。受け取らない律儀な人も居た。USA での旅も、ここに終幕を迎える。Air Train を乗れば、JFK空港に入る。そうすればそこは無国籍地帯(正確には出国審査を通過したら)。この国を感じて居られるのは今の内。次第に日も落ちてゆく。ここは夕暮れが早い。


 空港に着くのが遅かったため、空港のおばちゃん達にはせかされつつも、荷物を預けた。出国を全力で済ませて、ピザを食べた。時間がなかったが、全力で食べた。巨大な安いピザ。USA での最後の食事。このテキトーさが身に染みた。おおとりさんやかけらさん、みけねこさんと一緒に、ガンガン食べた。この時点ですでに搭乗30分前。

 そのまま一気にお土産を購入し、ダッシュしてゲートへ。ゲート47は遠かった。すきすきのターミナルを、全力で走り抜け、もう誰もいなくなった搭乗口へ。少々怒られながら飛行機内へ。


 飛行機に乗ったら、あとは安心。ボーイングが事故っている話題を出国前にも聴いていたので、その心配だけしつつ、アメリカン航空と離陸を共にした。さらばニューヨーク。さらばニュージャージー。さらばAPEX2013。さらば、…友よ。

 私は、この旅を振り返った。今まで、旅行と謂えば只の観光であった。ところが今回は、ガイドもない、スマブラの為の旅。関西へ遠征したこともあるが、それでも少なからず心躍る所はあった。そこは納得できる人も多いであろう。それに対し、今回は太平洋の向こうへの遠征である。血液の沸騰するような興奮。未知の街を行くスリル。情熱あふれる友。そして、別れの哀愁。私はおもむろにノートを取り出し、この日記を書くことを決めた。各日に何があったのか、忘れぬうちにメモを始めた。

 

↑ 羽田空港、出口

 夜景に降り立った飛行機からは、オレンジ色のモザイクが見えた。東京、羽田空港。

 この地へ帰ってきた。いつの間にか寝ており、いつの間にか到着していた。12時間ほどの空の旅。長いが、疲れていたので眠りっぱなしであった。

 空港に入った時点で、我々の前に覆うように日本語が降ってくる。久々の日本を感じた。日本語は情報量が多く、文字数が少ないくせに色んな事を語ってくる。何より、母国語よりも心地よいモノはない。皆、無事に入国できた。


 この後、SINナナキ宅へ向かった方々も居る。Rain さんは京急線途中で帰宅した。しみたけさんとは帰路が一緒であった。まず22時を過ぎていたので、ぐだぐだすることもなく皆さんささっと帰宅した。関西勢の皆さんは、ここから更に移動。大変であろう。

↑ 羽田空港で記念写真

(左の方から大体)みけねこさん・かいろさん・しみたけさん・9Bさん・Rain さん・おおとりさん・すいのこさん・かけらさん・あばだんごさん・くろおびさん・あーすさん・ふわさん・アユハ

APEX2013 旅日記 完


文・アユハ

写真は APEX ロゴのついている公式のものを除き、アユハが撮影

 
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