Part 0 :

2014年

“A Midsummer Night’s Dream ”

 

(Part 0 は序章です。Apex本題は Part1 へお進みください。)


 時というのは無為に過ぎたりはしない。こんな無常観を叙述するために、なぜか論語を引用するが「子、川の上に在りて曰わく、逝者は斯くの如きかな。昼夜を舎かず」(子罕篇)である。2014年、スマブラ界に居たプレイヤーたちは、誰しもがまさにこの心情だったのではないだろうか。

 2014年は、殊のほかスマブラ業界に変化をもたらした一年であった。謂うなれば、スマブラ界の夏である。Apex2015を語るにあたって、その理解を要するため、目録としてここへ記しておく。

 

 2014年は、まずは関東エリアでウメブラがスタートする。1月初旬のことである(たぶん誰もご存知無いが、「ウメブラ」のロゴは当時担当絵師も決まっていなかった頃に私が派手な暫定ロゴを作成しそのままである)。今となっては「ウメブラ」は、世界でも影響要素の大きい、スマブラシングルスを代表する大会である。だからロゴも、そろそろ新版へ替えてもいいのではないだろうか…。

 そしてその直後が、アメリカのApex2014である。

Apex2014 は旋風であった。aMSa さんの活躍が誰の目にも明らかであった。そして帰国していつもどおりスマブラをしていたある日、日本では “KVO” のアナウンスが有った。

「KVO?!」

スマブラーに紛れる格ゲーマー達は口々にあわてふためいた。大阪で毎年5月ゴールデンウィークに開催される総合格闘ゲームイベント:KVO に、スマブラが種目入りしたのである。EVO2013の種目にスマブラが入ったことが大きかったのかもしれない。

 スマブラDX, X のプレイヤーが続々と関西入りし、派手な舞台でのタイトルに鹿を追った。今年2015年も、スマブラDX, WiiUはKVO種目入りしている。

 そして丁度その頃、日本の aMSa さん(当日記にも登場)が、アメリカのVGBCにスポンサーをされるというアナウンスが有った。日本初の「スマブラプロ」の誕生である。

 それと立て続けに、Nintendo of America がアメリカの最大ゲーム展示会 “E3” にて、スマブラ最新作のデモを行うと発表。16人のプレイヤーを招待し、エキシビショントーナメントを実施するとまでの綸旨を出した。

VGBC|aMSaさんは、その16人の中に居た。アメリカの見本市というのに日本人で選出。公式からのお声がかかるという大変名誉な出来事であった。

 6月付近、スマブラ界は、御すに御せない悍馬に馬銜を付けた車のようになっていた。他のゲームには無い驚異的なスピードで発展していた。この勢いを保ったまま、ゲーム大会の殿堂:MLG, CEO でスマブラは火花を散らし、夏の頂上決戦 EVO にも突入する。

 EVO はゲーマーならば誰もがご存知の大会である。スマブラは昨年の “One More Year” コールに応え、再参戦した。なんと、Nintendo of America さんは、スポンサーとしてEVOに推参なさった。EVO最終日、ベスト8のお立ち台決戦。その前に、スポンサーである Nintendo of America のヘッド:Reggie 氏が動画挨拶をなさった。

その中で印象的な言葉は、やはりご挨拶を締めくくった、


“No Johns”


である。英語のスマブラ用語で「言い訳無用」という意味である。Nintendo の天幕さまが、界隈用語を使うというのは、同人誌でもあり得ないような事態であった。私はEVO2014を大学院の同級生と一緒に観戦していたが、ここで「OOOHHHHHHHHH」と叫ぶ私を、他ゲーのためにEVOを視聴していた日本人達は、きょとんとした表情で見ていた。

 

 話は少し移り、日本のほうへ…

 6月のSKTARというアメリカ東海岸の大会に、スマブラX部門として9Bさんが招待された。9Bさんは単身アメリカに乗り込み、まさかの無敗優勝で帰国して来た。振り返るとこの大会は、スマブラXが盛り上がりを見せた最後の大会となった。そこで日本の非メタナイトが蹂躙してきたというのは、おいしい展開である。

 そしてちょうど同時期、私などが日本でSHI-Gを発足させた。VGBCやCTをモデルにした配信クルーが、日本にも欲しいなあと思っていたため、ふと動き出した次第である。海外遠征というのは魔力が有り、「こういうことやりたいなあ」と人に思わせてしまうし、「こうやればできるんだ」という見識も与えてしまう。

 9月。コミケを終えて、世間的には熱が冷めてきた頃。スマブラは遂に新作:3DS版が発売され、逆に熱気を帯びてきた。古豪のプレイヤーたちも、新作の旗印を見て戦線復帰してきた。上記の大会シリーズ「ウメブラ」は大いに盛り上がり、開催するたび定員オーバーとなった。

 しかも3DS初代優勝者のNietonoさんには、マルチゲーミングチーム DetonatioN さんより、スポンサーが着くことになった。DetonatioNさんは、FPS系やLoLといったゲーム業界の人からは非常に認知度の高いチームで、スマブラ界に参戦して下さるというのはなんとも名誉なことであり、同時に、これはスマブラプレイヤー国産プロの初登場を表していた。

 そしてそれと同じ頃、11月。ニコニコ動画さんから、2on2プレミアムファイトという企画が実施された。「タイム制・TA無し・アイテム有り・カスタム有り」というルールは、我々「スマブラー」からは不満が漏れた。「ガチじゃない」というような子供の名誉じみた理由からではない。カスタムパーツを集めることが、あまりに大変だったからである…。寧ろ、この公式ルールの方が深いガチ度を呈しているとさえ体感した。このカスタムパーツのつらさを除けば(除かなくても)、五体投地の満足内容。このイベントを設けていただき、自分からは感謝の念しか無い。

 最終ラウンドベスト8は、六本木のニコファーレにて実施。「内山軍団」「ハメ技研究員」「ふじたスペシャル」といった名称が公式に踊った。そんな中、スマブラの父:桜井さんも登場。もう絶句である。


 そしてこのビッグウェーブに乗って、WiiU版も発売。

 ウメブラには、ゲーム情報サイト:Game8さんがスポンサーについた。配信クルーとして私の書いた記事も単体で30万レビューにのぼったり、と諸ゲームからの人に注目されることの視線を実感した。Game8さんは様々な面で大会・配信をサポートして下さるため、とても貴重な方が降臨したと感謝している。

 そして冬休みにはジャンプフェスタ。幕張メッセのこのイベントで、スマブラ乱戦の最強を決めるイベントが実施された。2日間あったため、各日の優勝はAbadangoさんとシャドウさん。ここでも内山軍団が一人、玉座についてしまった。個人的には、及川名人が「客席の最前列に居たのはふじたスペシャルさんでは?」とツイートしていた所が驚愕であった。

 更に、1月末にはニコニコ闘会議があり、スマブラも種目に入ることが確定。加えて驚くアナウンスだが、プレミアムファイト・闘会議の優勝者がApexの上位勢と、4月のニコニコ超会議で決戦する、とのこと。

 この闘会議がApexと日程が被ってしまったため、私たちは行けなかったことを悔やんでいる。書いている今から見た後日談だが、ここでもベスト4で「内山軍団」と「ふじたスペシャル」が激突。結果、「光と闇」という名のチームが優勝。「内山軍団」所属のメンバーが、公式大会を総ナメする戦績を、スマブラの史書に刻んだ。Apexの上位チームと対峙するは、内山軍団であり、日本の運命が彼らに委ねられた。

これら公式大会を通じて、公式の運営さまと在野のプレイヤーで、交叉する対話ができたことは大きな一歩だったかもしれない。

(内山軍団さんは、ウメブラスタッフにも多く所属しており、設営・準備の面で大きく貢献しています。彼らのプレイ以外での活動もお忘れなく!)

 ご覧のとおり、スマブラ界は1年で多くの実績・熱気を得ることが出来た。これは様々な方面から差し伸べられた手のおかげでもあるし、その界隈にいた現場のプレイヤーたちの貢献でもあると思う。


 ここまでが、2014年の変化である。

 さて、ここからが2015年である。2015年の叙事詩は、Apex2015旅日記から始まる。

 
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